富山に帰った翌日の朝、台所に居る時に地震がありました。
関東地方では珍しくも何ともありませんが、北陸では地震はめったにありません。
ゆっさゆっさ揺れたので、お、地震だ、震源地は何処だ、関東地方は大丈夫か?自宅は大丈夫か?
と真っ先に心配してしまいました。
震源地は能登半島の近海、富山は震度5弱でした。今まで関東では震度5弱を一度経験したのですが、その時よりも揺れ方が激しかったように感じました。
幸い死傷者は少なかったようですが、JRの特急が全部止まってしまいました。朝起きた地震だし、県内はたいした被害は無いし夕方の特急は動くだろうと思っていたのが3時頃になって運休決定。
帰れない!でもハム達に餌をやらなきゃいけないし、マンションの配水管の工事が月曜朝一から始まるので部屋の鍵を開けなきゃいけないし。何としても帰らなきゃと思いつつどうにも身動きが取れないで諦めかけていました。仕事はあらかじめ休みを取っていました。
従兄弟に車に乗せてもらってやっと最寄のJRの駅に着いて聞いたら夜行は走るとの事。恐怖の夜行列車、急行「能登号」。仕方が無いので、私だけ夜行で帰って、お坊ちゃまとななハムは翌日の昼間にしました。
恐怖の夜行列車は昔学生時代に良く乗ったなつかしいヤツ。8時間4人が向かい合って膝がくっ付く狭さ。座席が取れるのはまだ良くて通路に立ったり座ったりでまんじりともせずに夜をあかして、まるで忍耐忍耐。でもさすがに今はリクライニングシートになり、時間も7時間になっていました。
しかし、夜行は寝れないし窓際だったので通路側の人が寝ていたのでなかなか通路に出る事も出来ず、難行苦行の7時間を我慢してやっと帰れました。
家に辿りつくなり、ハム達大丈夫かと覗いたら、全員元気でした。ほっ。お坊ちゃまとななハムは夜無事に帰って来ました。
肝心の両親ですが、父親は一日中殆どベットで過ごしていました。筋肉が衰えて一人では立ったり座ったりするのがなかなか出来ません。大体食事の時以外が寝ているのですが、あまりボケては居ないようでした。
母は足腰が痛いらしく殆ど動かないのですが口は減りません。孫が居ると勢いを得てより一層口やかましく、いつもの事ですが辟易しました。
今回は姉が居てくれたので、家の手伝いも必要なく、おいしい手料理を食べさせて貰って、まるでお客さんのようでした。姉は料理が得意なので炊事は全てお任せ、私は掃除機を掛けただけでした。
両親は口ではあまり言いませんでしたが、孫が来てくれたので喜んでいるようでした。
帰る時に「近いうちにまた来るからそれまで元気で居られ。」て父親に言ったら「いつ来るが?」とまた期待しているようでした。
まあ、何時とははっきり解りませんが、夏までにはもう一度行かなきゃと思っています。